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女子力向上装備

「オーストラリアに行ってきました」と土産をもらった。
 可愛らしいカンガルーのぬいぐるみがついたキーホルダーである。え、いや待って。なんかすげぇ愛くるしいんだけど、渡す相手間違えてない?

「大丈夫です。鵜狩さんには、お世話になってるんで」

 日頃をそのように受け取ってくれているのは嬉しいしありがたいけれども、わたくしいい年のおっさんである。これを一体どうしろというのか。

「いつもの鞄につけてくださいね」

 ……あ、はい。
 不義理は好まぬので、言われるがまましばらく装着することにした。
 しかしなんというか、その、乙女か。乙女か!
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言葉の司

 金原瑞人さんの『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』を読了。
 古橋秀之、秋山瑞人両氏との鼎談に惹かれて読み始めたのだが、翻訳や言葉に関する思考が大変に共感できるものだった。
 特に「思考を言葉に置き換える時の違和感」。これは本当に見失ってはならぬものだと思う。芥川の言葉であるそうだが、まさに「風呂に入るのは簡単なのに、それを文章にするのはなんと難しいのだろう」である。ちょっとの違いで大違いなのだ。多分。
「お前恒藤恭に『彼は初めは中々寮で入浴することを肯んじなかった。やっと入浴するやうになっても、稀れにしか入浴しなかった』とか書かれてるじゃん」とか言ってはならない。

 閑話休題。
 他にも「I」の訳し方とそれにまつわる苦労とか、終助詞や固有名詞の話とか、実に面白く興味深かった。鷺沢萌さんのエッセイを読んだ時にも感じたことだが、複数言語を操る人の考え方というのは俺にとってとても魅力的に映る。
 言葉ってのは思考や文化の根底で、それを多数備えているわけだから、そうない視点を持っていらっしゃるのであろうと思う。
 なんか頭の蓋を外して、とっかかりをくれるような雰囲気がある。なんとなく感じていて、でも意識するほどではないままの部分を鮮明化してくれる、みたいな。 

 余談だが俺が至上の名訳と思ったのは、「オシツオサレツ」。
 これは『ドリトル先生』シリーズに登場する、体の前後にひとつずつ、計ふたつの頭を持つヤギに似た生き物「Pushmi-Pullyu」の訳語。「push me,pull you」ってわけで、これの日本語訳として実に上手いと思う。流石井伏鱒二。『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』では翻訳の寿命というものにも触れていたけれど、それでも自分がいいと感じたものは長く残って欲しいと願ってしまう俺である。
 そして最も衝撃的だった訳は、「キヨシとブチ」。
「何の話に出てくる誰だよ」かと問われれば、『フランダースの犬』の主人公コンビであると返そう。他の登場人物も和名になっているのだが、このふたりのファーストインパクトには敵うまい。
 念のためフォローしておくと、あの菊池寛が抄訳した『ジャングルブック』においても、動物たちの名前は和名に改められている。
 登場人物たちを親しみやすくするべく、児童文学として、して当然の配慮だったのだろう。

ちょっぴりいやらしい話

居残り方治、憂き世笛』の発売から約二ヶ月。そろそろではないかと、国立国会図書館の蔵書検索をしてみた。
 結果、ちゃんと登録されておりました。当たり前といえば当たり前なのだけども、国立国会図書館にちゃんと俺の本が納まってるぜ! 自分のピラミッドか聖帝十字陵が完成したかのような心持ちである。
 勢いで市内図書館の蔵書検索もしてみた。実は子供の頃からお世話になってた図書館に、献本でもらったのを一冊寄贈していたのだ。
 リユース文庫に回されてたら嫌だなあとはらはらしていたのだが、こちらも無事蔵書としてヒットした。というか、二件ほど予約が入ってた。
 エゴサーチめいた振る舞いをした自覚はあるが、やっぱり嬉しかったので記しておく。

『居残り方治、憂き世笛』、発売中です

書影



 気づけばこちらではあまり宣伝しておりませんでしたが、拙作『羨望剣犬笛』が『居残り方治、憂き世笛』とタイトルを改め、アルファポリス様より書籍化していただきました。
 中身や各種情報につきましては、詳細を書報を掲載していただいておりますので、こちらをご参照ください。
 上でも述べている通り、時代小説ではありますが、小難しい予備知識だのなんだのはおよそ不要にございます。人情と剣劇の風味をお楽しみいただけれこれ幸い。
 まずは清いお付き合いから、立ち読みからで結構ですので、ちょいと手にとっていただけましたら嬉しい限り。そのままレジに持って行っていただけたりすると……あ、いえいえ、高望みは申しませんが。申しませんが。(チラッ)

 ちなみに後ろに写ってるのは初校ゲラである。「あ、これは勉強になるな」と思ったので、我がまま言って後学のために頂戴しました。
 自分の書いた文章が、人様の手によってよりわかりやすく変貌していくさまは、近所の美人のお姉さんの芸能界デビューを見守るが如しでした。これが世に言う寝取られの心地であろうか。

神気これにあり

 やっとこ時間がとれたので、先週の「美の巨人たち」を見た。ご存知伊藤若冲スペシャルである。
 通して視聴して、ため息が出た。裏彩色だの筋目描きだの升目描きだの、なんだあの一切の手間隙を考えずに全部ぶち込んでくパワーは。あんなんみたら、俺なんぞますますさぼってばかりの心地になる。
 そして描かれたものたちの色彩、表情、動き。これらのなんと豊かなことか。
 物には神気があってそれを捉えて描くというのが若冲のやり方であったと聞くが、この言いの通り肝心要の部分をかっちり掴んでいるから、大胆なディフォルメや写実的でない構図、姿勢すらもが、恐ろしいほど「らしく」見えるのであろう。
 この種の描かれない部分に宿る「らしさ」は、水墨画にいたく似通うように思う。
 等伯の松林図や応挙の氷図などにある、恐ろしく豊かに研ぎ澄まされた空白。これらもまた、若冲の言う神気を捉えていればこそ現せたものなのだろう。

 余談だが、俺が今のところ一番好きな若冲の絵は隠元豆・玉蜀黍図である。
 技術がどうとか美術史的にどうとか詳しいことは知らない。でもあの空間の濃淡と陰影、描かれていないのに確かに感じる光やのどかな光景でありながら張り詰めた空気、味のある蛙の表情までもを含めて、とにかく俺に響くのだ。
 でも双鶴図のディフォルメっぷりとか群鶏図の色鮮やかさとか象と鯨図の雄大さとか鶏と釣瓶図のとぼけ具合とか、どれを見ても「すげぇ!」ってテンション上がるので、結局のところただの若冲大好きっ子なのかもしれない。
プロフィール

鵜狩三善

Author:鵜狩三善
鳴かぬなら 鳴くのにしよう 不如帰

 小説家になろうにて物語を書き撲っております。

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