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「譲られる」

 、「譲られる」についての独り言。
 ちょっと判りにくいかもしれない。
 いい子に譲ってもらったと思ったら、ペンキ塗り立てだった。普通ならチクショウと思うところだけれど、見送ったベンチの先客の服に、ペンキは一切付着していなかった。そんな感じ。
 うーん、やっぱりちっとインパクトが弱いか。よーわーいーかー。
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「噛まれる」

 、「噛まれる」についての独り言。
 洗濯しようと思ったら、洗濯機の給水部分が破損した。なんてこった。仕方ないのでバケツで水を汲んだ。激しく周囲に零れた。なんてこった。雑巾引っ張り出して拭いてたら、洗濯機の下を拭いた拍子に指を切った。ノシャブケミング!
 そんな腹立ち紛れにでっち上げた話。ある意味ありきたり。
 ノシャブケミングの意味が判らんヤツは『レンズマン』シリーズを読むといい。めっさ面白い。翻訳物が苦手なら、古橋秀之さんの『サムライ・レンズマン』も超オススメ。原作ネタが大量に盛り込まれているが、知らなくても大丈夫。ちゃんと楽しめる。無論知ってれば更に楽しめる。

「多かった」

 、「多かった」についての独り言。
 遠野物語的な何か。或いは見た夢の再構成かつ大改造。
 夏目漱石の「夢十夜」の何夜目だか忘れたけど、「崖に連れてかれて『ここから飛びなさい。さもないと豚に舐められますがようござんすか』って言われて、飛びたくないし舐められたくもないので必死に持っていた杖で豚の鼻面を叩き続けて凌いだが、そのうち腕が疲れ果ててぺろりと舐められた。舐められた者は助かるまい」みたいな話があるが、何故だかそんなイメージ。
 しかし「豚に舐められますがようござんすか」って言葉の破壊力が凄いな。流石漱石。

「安堵」

 、「安堵」についての独り言。
 どちらかというと怖いのは、張り付いてる逆さま男ではない。自分がターゲットから外れたとほっとして、そのまま黙っている先輩の方である。
 そういう、人の能動ではない悪意みたいなものが主眼。
 とかいうと何もしてやらない先輩が悪役みたいだけれども、彼女も欠片も悪くない。

「片方だけ」

 、「片方だけ」についての独り言。
 意味も判らない。意図も判らない。何がしたいかも判らないけれど、確かに邪魔。だけどどうすればいいのか判らない八方塞がり。実にまったく嫌な感じの閉塞感。
 所詮靴紐の片方がほどけているだけなのだけれど、積み重なれば、ね。
 とにもかくにも理不尽なお話で、自分では結構気に入っている。

「告白」

告白」についての独り言。
 テーマは「裏腹」。要は「あなたの事が大好きです」なのだが、そのまま言っちゃあ芸がない。行間一杯の情感を読み取っていただければと思います。
 こういう遊びができる日本語って凄いよにゃー。
 まあぶっちゃけ、俺が可愛らしく素直な女の子を書けないだけだったりするのかもしれない。よく考えたら可愛らしく素直な男の子ってのも書けない気がする。
 途中、誰誰書きすぎて誰って文字がゲシュタルト崩壊を起こしそうになった。
 あとこちらで朗読していただいてます。若干の改稿あり。読む方の解釈によって声音や演技が違っていて実に楽しい。この場ながら、投稿してくれた方々にもう一度感謝を捧げておきたい。
 ちなみにイメージの大元は椎名林檎さんの『遭難』。
 遭難ってタイトルで「然様なら、お互い似た答えのはず。出遭ってしまったんだ」って恋を歌い上げる、この言葉のセンスは半端ねェ。


「機を逃す」

 、「機を逃す」についての独り言。
 ちょっと前、春の嵐が如くに風が強かった頃にふと思いついた話。
 勿論吹っ飛んできたのはアレである。一反木綿先生である。鬼太郎どーん。
 子供の頃の夢は一反木綿とカラスコプターとに乗る事だったさ。

猫とばーちゃん

 暖かいというよりも暑くなった。
 振込みやら買出しやらあれこれ済ませて予想外の気温だぞと顎を出しながら帰ってきたら、途上で屈み込んで花壇に水をやっているお婆ちゃんを見かけた。足元には黒猫。
 猫は警戒するようにきりりと俺を睨みつつ、尻尾をばーちゃんにぺたりと押し当てている。レディを護るボディガードの如しであった。
 ものすごく和んだ。

重なる重なる

 引越し手伝いをこなした。昼夜のメシと風呂を馳走になって帰ってきた。そんな大仕事をしたつもりもなかったのだが、風呂の魔力か疲れが噴出。家に着くなりぐったり眠る。
 朝起きて洗濯でもと思いつつ顔を洗っていたら、水道管から水漏れ発生。経年劣化か! 洗面台下のU字部分だったんで、そこの水を止めて一先ず事なきを得る。洗濯を開始したら洗濯機のホースに亀裂発生。またしても水漏れ。なんだこの水難。
 更に不動産屋から契約更新のお知らせが届く。ちょっと待て。納得いかないので早速電話。
「おい賃貸契約2年更新じゃろ。まだ1年あるぞ」
「あ、すみません、賃貸じゃなくて保証会社の方でした。そっちだけ1年なんですよ」
 お陰でこれから不動産屋まで出頭してこねばならない。用事が一度に片付いてよしとするべきか、面倒が重なりすぎと評すべきか。

眠れん

 明日はかねてより友人の引越し手伝いの予定が入っていて、そりゃもう朝早くから立ち回る予定なのでもう寝ていなければならない。
 だというのに昨日雷雨を食らって不貞寝決め込んだ所為か、一向に眠気が訪れない。
 こういう時に書いたり読んだりするとますます頭が冴えて寝付けなくなるわけなのだが、どうしたもんかと寝床で煩悶していても結局時間の浪費な気がして仕方ないのでこれを書いたりあれこれ書いたり。
 そういや昔、俺が引っ越す時に手伝いを頼んだヤツを車で迎えに行ったらば、「寝坊すると悪いんで一晩中起きてました。眠いです」とぶっこかれた事があった。なんて駄目な子だろうと思った。アレの轍を踏まぬようにせねば。

テンションダウン

 帰ったらあれやろうこれやろうと思っていたのだが、雷雨に打たれてシャワー浴びて出てきたらなんかぐったり。
 今日はざくりと寝てしまおう。引越し手伝いもあるし寝てしまおう。そうしよう。

「汚される」

 、「汚される」についての独り言。
 悪戯小僧だったのでしょう、多分。覗くのが目的ではなく、びっくりさせるのが目的の悪戯。小僧って雰囲気じゃないけど。
 普通は「本当だよ、本当にあったんだって。その窓見てみろ」となるからとっておきたいはずの怪異の証拠であるが、これだと物凄く払拭してしまいたくなる。徹頭徹尾やな感じである。

「隠される」

 、「隠される」についての独り言。
 結構気に入りの作。
 全体的な流れから何からすとんと一気に来たのでそのまま仕上げた感じ。
 押入れは秘密基地的イメージもあるが、トイレやら浴室やらと同じく日常的異界のひとつであろうと考える。
 そして神隠しというものがあるならば、こういうわけの分からない、道理の通らないものであって欲しいと思う。
 あとこちらで朗読していただいてます。
 怪談風だったり童話風だったり昔話風だったり、SEやBGMで世界を構築していたり。読み手によって様々な雰囲気をお楽しみいただければと思う。言葉の間や尺の取り方も様々で、実に参考になる。
 この場ながら、投稿してくれた方々にもう一度感謝を捧げておきたい。

「連れ帰る」

 、「連れ帰る」についての独り言。
♪ゆーれてゆれていまこころがー。懐かしい曲だが、ネタとして頑張る気が俺にないのがモロバレである。
 まだエアコンのない部屋に住んでいた時分、夏の夜にアイスを買いに行ったらば、近所の公園のブランコ(無人)が一台だけ揺れていたのでちょっとびびった。そんな懐かしい記憶。
 夜の公園で揺れ続けるブランコ、というのは定番なので、そこからちょろっと発展させてみた感じ。
 しばらくはスイッチ紐のみならず、カーテンとかトイレットペーパーの垂れた部分とか揺れまくりでしょう。

「変わらぬ日々」

 、「変わらぬ日々」についての独り言。
 災厄を収めたパンドラの箱から解放されなかった唯一のものは「未来」であるとする話もある。
 先の事を知らぬから、人はどうにか生きていけるのだ、と。
 というわけで、同じ既知の一日をループするってどうだろうかという話。
 未体験は当然あるが、繰り返すうちに経験に塗りつぶされていく。そして何やっても積み重ならない。できるのは瞬間的な金儲けと食道楽、読書三昧か。本に関しては羨ましい気もするが、しかし新作は絶対に出ないのだから困ったものだ。
 ちなみに時間を取り扱った作として俺が好きななのはケン・グリムウッドの『リプレイ』、そして北村薫の『スキップ』『ターン』『リセット』、時と人の三部作である。特に北村さんの『スキップ』は是非、同氏の手による『秋の花』と併せて読んでいただきたい。
 時間とは関りが薄くなるが、『秋の花』は本当に名著である。「──眠りました」。この一言に籠められた、限りないひとの優しさよ。

「今は、雨の中」「轍」

今は、雨の中」及び「」についての独り言。
 ファンタジーは爆発だ。多分。
 おそらくは自爆の類だ。きっと。
 このふたつは関連話なので一緒くたに。昔やってたアリアンロッドTRPGからの話。
 世界観は全く出してないし、キャラクター設定は何もかも俺ひとりの手によるものなので問題なかろう、的な。
 正直に言うとファンタジー短編書こうと思ったら世界からでっち上げなきゃならなくてその膨大な労力にバックステップした。短編でする作業じゃねぇ。
「今は、雨の中」の方には地味に当時の伝七郎ラヴ具合が残っている。判らなけりゃあバガボンドの22巻を読んでくるといい。わかるヤツだけわかればいい。
「轍」の師匠サイドは、すっかりもう九十九乱蔵。
 昔々、俺がまだ中学生だった頃、夢枕さんの『闇狩り師』を読んで「なんだよこの主人公、もっとどかーっと活躍すればいいのに!」と思った。ガキにゃ分からん味わいがあるという事も分からないガキだった。
 夢枕さんで唐突に思い出した不満だが、映画もドラマも漫画も、どの『陰陽師』も俺は大層納得がいかなかった。
 清明を持ち上げる為に博雅をダシにするんじゃねぇ。他を貶めないと褒められないとかどんなだ。同じエピソード使ってるのに台無しにしてたりしてたしな。
 あんないいものをなんで変な装飾入れて台無しにするのだろうと、不思議でならない。

ハイレベル

 こえ部の方に一日一題で頑張ろうと思いつつも、5日で躓いた駄目なイキモノですおはようございます。投稿していただいた声を拝聴しながらあれこれしてたら、いつの間にか寝ていた。なんてこった。
 それにしても、こえ部の方々っつーのは凄いな。
 全体的にレベルが高すぎてヤバい。何これ二周目? クリア後なの? 悪魔全書で前の周の主力召喚したの? 冗談抜きで俺から変な声が漏れる。ボイスドラマっつーんでしょうか、ひとつのそういう出来上がった形になってやってきてたりするんですよ。いやいやいや。
 自分が声とか音とかそういうものに関して素人だと思い知らされる。そしておかげで感想コメントの200字制限に結構泣かされる。
 すげェと思った人にはできるだけ登録して、他の声も拝聴してるわけだけれども、すげェと思える人が多すぎて困る。いや真面目には困ってないんだけど。嬉しい悲鳴系ではあるのだけれど。いやいやいや。
 冗談抜きで凄いとしか形容できない。いやはやなんとも。

あしらわれる

 友人との電話の折、「昨日呑み行ったんだけどさ、ちと串揚げを食い過ぎたようで胃具合がよろしくない」という話をした。
 大爆笑された。
「もう若くないんだよ。若くないんだよそれ!」
 すっげェ嬉しそうに言う。
 でもお前俺と同い年だろうが。同い年だろうが!

食いすぎた

 セルフで串揚げをする飲み屋に行って来た。
 バイキング形式で、定番の鳥牛豚から鯛焼きたこ焼き餅チーズ、実に色々揚げるものがあった。サブには焼きそばとかカルボナーラとかカレーとか味噌汁とかあとデザート類とか。
 結構美味かったので、調子に乗って飲み食いしすぎた。気持ち悪い。
 ちょっとダウンしてくる。

1編追加

 
「声援」
 を追加。

じたばたとする

 相変わらず声について考える。
 やっぱ地の文あるなしじゃ全然違ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!
 いや当たり前なのだけれどさ。
 むつかしいよな。意識して作ったつもりでも、実際読んでいただくと「うわあああ」と叫びながら盗んだパイクを振り回したくなる。いや振り回せる得物ではないけれど。
 しかも説明臭いんよな。もっとシャープに、こうざくりと。すぱっと。切れ味が欲しい。
 懊悩しつつもいただいた声に返礼をして、ちょっくら走ってたらシャワー浴びて寝る。明日は飲みに行くのだ。

 このところ続く、こえ部関連のお話。
 文章を書く折、音読した時の語調は意識しているつもりであった。あったけれど、やはり実際に読まれてみると違う。
 強弱緩急感情の起伏、更には間の取り方。声の演技という要素が入ると、まるで雰囲気が違うものになる。これは面白い。
 目立ちも悪目立ちも上等で、ちょこちょこお題を投稿してみよう。
 併せてうまいと思った人のものを聞いて回ろう。どういうふうに区切って尺を取って気持ち入れて沈黙を使って、そして文章とはどういう差異を出しているのか。そういう部分に重点を置いて見聞しよう。
 そんなふうに思った。

「抱擁」

 、「抱擁」についての独り言。
 酔っ払いは何故電柱に抱きつきたがるのであろうか。やっぱ電柱の冷たい石の肌が心地よいのだろうか。「肌のよき石にねむらん花の山」なんて句を思い出す。酔っ払いからの連想とか失礼極まりない。
 しかし笑い話になるのは単独行動でホールドしてるからであって、それが電柱全部にみっしり抱きついてる人間がいたら相当異様な光景であろうと思う。
 そんなわけで大人気の電柱のお話。実はこの電柱にはまさしく人柱が入っており……みたいな展開を今考えたが蛇足にしかならない気がするので放置、放置。蛇頭蛇尾とか洒落にならない。

「再会はしたくない」

 、「再会はしたくない」についての独り言。
 福の神の話。福の神だからといっても、そのひととなりが愉快痛快とは限るまいと逆方向にダッシュしてみた。
 6億円BIGマンを見て正直負けたと思った。
 あと物凄く人当たりが良くて話してて楽しい愛すべき貧乏神ってのもヤダと思う。追い払うのに罪悪感を感じて仕方ないのに、でも貧乏神。お前ちょっとその辺でレベルアップしてきて中流神くらいになっきてよって感じである。

「残響」

 、「残響」についての独り言。
 昔親父が吸ってた煙草と同じ銘柄を吸ってる人とすれ違うと、それだけで懐かしい気持ちになる事がある。人間の情報で一番大きなものは視覚だけれど、嗅覚や聴覚の記憶は目立たないだけで深く残っているものだと思う。
 そしてジムノペディはマジ名曲。時々本当に泣きそうになる。
 楽曲のみならず、エリック・サティのつける奇矯な曲名には激しく惹かれるのだよな。
「犬のためのぶよぶよした本当の前奏曲」とか「干からびた胎児」とか「最後から2番目の思想」とか「右や左に見えるもの~眼鏡無しで」とか。タイトル眺めながらぼけーっと曲聴いてるだけで、何か浮かびそうになってくる。
 気がついたら殆どサティについてしか語ってないというこの現実よ。

出題

 先日書いたこえ部にお題を投下してきた。
 初の試みってのもあるのだろうけれど、すっげぇハラハラする。わし小心者じゃけぇのう。未だに大学の卒業式の日に実は単位が足りてなかったと判明するって夢を見る時がある。
 とりあえずアレだ。怖いからアレだ。今日はもう覗かずに別の事して読みさしの本読んで寝よう。昨日は久々に徹夜モードだったし。
 駄目だったらいいさ、この冷たい雨の中を駆け出すさ。それだけの事さー。

「ふみきり」

ふみきり」についての独り言。
 随分昔に書いたのの手直し版。話の構成はともあれ「ずるり、ぺたん」の感じが気に入っていた。
 ずるりとぺたんの間が句点だったり読点だったり、行に出てくる回数が変わってたりでにじり寄られる嫌さと怖さが出て……たらいいなぁ。
 一番ショッキングだったのは、当時これを読んだ奴に「最後ハッピーエンドでよかった」と言われた事。
 その場に居たそいつ以外が「えっ」って顔をしたので一般的にハッピーエンドと思われる事はない。ないとはずである。そんなのはあいつだけだと思いたい。

「背中側」

 、「背中側」についての独り言。
 更に続いて背後の死角の話。
 京極夏彦さんが『百鬼夜行──陰』の目目連で「見るという行為は受動である」としていた。光の反射が飛び込んでくるわけだから、見ないという能動はあっても、見るという行為は受身のものであるのだと。視線とはつまり自分自身が感得している錯覚に過ぎない、と。確かに最もだと思った。
 でも錯覚ならぬ気配とか、見られてる感じとかってあったりするよな。ああいうのはなんなのだろうか。0以下の少数を足し合わせて未満として感じる何かなのであろうか。

「雪の音」

 、「雪の音」についての独り言。
上を見るな」に続いての頭上の死角の話。
 さらさらと雪の音を楽しんで帰ってきたら、実は気色悪い蜘蛛を串刺しにしての家路でもう台無し、みたいな。
 蜘蛛の処理にも傘の始末にも困り果てます。

「now loading」

 、「now loading」についての独り言。
 映像の映っていない、言うなれば死んだテレビにだけ映る何か。……と言うともの恐ろしげだが、実際テレビの電源が入ってないだけでは映らない。
 少年がゲームをやっていて、そのロード画面にだけ現れる。つまるところお邪魔虫である。
 全然印象が違うと思うが、実はインテルのCMのこの時計のイメージだったり。
プロフィール

鵜狩

Author:鵜狩
鳴かぬなら 鳴くのにしよう 不如帰

 小説家になろうにて物語を書き撲っております。

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