めぞれけ「謝意表明に酷似した要求の拡大、もしくは棚からぼた餅」

 RO、生体工学研究所関連のお話。
 勝手ながらTLから、「エレメスを和室四畳半に住まわせる」という設定をお借りしました。
 諸注意については初回参照の事。

 また1万字ちょいである。無駄に長くてすまぬ。
 季節感? あいつなら死んだよ。暑さでな。
 めぞれけシリースはこれにて一先ず完結。懐かしい面子を書いて俺は楽しかった。読んだ方にも楽しんでいただければ幸いであります。
 ここまでのお付き合い、誠にありがとうございました。


 *



 空風に踊らされた髪を手櫛で落ち着てから、セシルはエレメスの部屋のドアノブを回した。
 毎週土曜のこの時間、彼の部屋には多人数が出入りする。利便性を優先した結果、施錠がなされなくなったのを彼女はよく知っているのだ。

「やっほー、誰か来てる?」

 勝手知ったる他人の家とばかりに勢いよく顔を出すと、出迎えたのはいつも通り半纏姿のエレメスである。
 当初は「もっとちゃんとした格好をしなさいよ!」と叱りつけていたものだが、今ではすっかり馴染んでしまった。慣れとは怖いものである。

「おや、お早いお着きにござるな、セシル殿」

 包丁を止めて微笑む彼は、高い背中を猫背に屈めて、まな板と向かい合う最中だった。
 当初は「なんで拙者ばかりが作る係でござるか」などと愚痴っていたものだが、今ではすっかり台所での立ち姿が様になっている。どうやら料理の楽しみに目覚めたようで、古本屋で料理レシピを買い漁ってもいるらしかった。
 元々小器用なのもあってそのレパートリーは着々と増え、ハワードなぞは供される小鉢を眺めては、「これで酒が不許可ってのは生殺しだろ……」と嘆息する始末である。
 今日は鍋物だとメールで言っていたけれど、おそらく持ち込まれた素材に応じて、品数がまた増えるのだろう。
 結局彼に手料理を振る舞えたのはあの一回限りだったなと、セシルはちょっぴりだけ残念に思う。

「はいこれ、今日の分
「感謝にござる。いつもすまんでござるな、セシル殿」
「それは言わない約束でしょ」
 
 思いながら、買い物袋を手渡した。
 ハワードが鮮魚精肉、セシルが野菜、セイレンとカトリーヌが飲料と、買い出しの分担が決まりつつある昨今だった。マーガレッタはといえば、手製の焼き菓子を毎度ながらに用意してきて、意外な料理上手ぶりを見せつけている。

「ところでハワードは? 自分の部屋でなんかしてるの?」 

 エレメスがもう具材を刻んでいるという事は、あの大男は既に顔を出しているはずなのだ。だというのにあの巨躯はどこにも見当たらない。
 なんとなく浮かんだ疑問を投げつつ、セシルはコートをハンガーにかける。空いた手をこすりながらこたつへと潜り込んだ。
 二月の風はまだ冷たい。こたつ布団の中の温もった空気は何よりのご馳走だった。
 このこたつテーブルは、元来エレメスが使っていたちゃぶ台よりもふた回りゆうに大きい。暖房器具と大きな食卓の必要性を解決すべく、ハワードの手腕が振るわれた結果だった。
 ちなみにエレメスの部屋の台所には、六人分の食器が百均でながら揃えられている。割り箸や紙皿、紙コップを使うよりはエコなのだろうけれど、流石にこの溜まりっぷりはどうなのだろうと我が事ながら思わなくもない。

「荷物を置いてから、一服しに行ったのでござるよ」

 返答に、ああ、とセシルは納得の声を出す。
 ハワードは土曜鍋のメンバーで唯一の愛煙家だった。そして見かけによらぬ気回しからか、はたまた自分ルールなのか、決してエレメスの部屋では喫煙しない。

「セイレンは、まだ?」
「うむ。買い出しを兼ねて、ウィンザー号でカトリーヌ殿を出迎えに行っている最中にござる」

 セイレンの送迎も、最早いつも通りの光景だった。
 彼の自転車──エレメスの言うところのウィンザー号──の荷台には、カトリーヌ用の座布団が設置されていたりするのだ。

「あの子も道、覚えないわよねぇ」
「いや、覚えてるのではござらんか?」
「あー……」

 そこからどう切り出したものかちょっぴり困って、セシルは中空に指先を彷徨わせる。
 結局、直球勝負で行く事にした。

「あんたも、やっぱそう思う?」
「うむ。気づかぬのは朴念仁のセイレンばかりにござろう」

 あの面白みのない堅物のどこを気に入ったものか。セシルの友人たるカトリーヌ=ケイロンは、セイレン=ウィンザーに好意を抱く様子であるのだ。
 送り迎えで一緒の時間を増やすしているのもその一端で、物静かで大人しいと決め込んでいた彼女の思わぬ攻勢に、セシルとしては驚きを隠せずにいる。

「しかしカトリーヌ殿も、あのにぶちんっぷりには苦労しそうでござるなあ」
「……」

「どの口が言うのよ、どの口が!」と蹴飛ばしに行きかけて、セシルはぐっと思いとどまった。いくらなんでも、それは藪蛇が過ぎるというものだ。
 その視線が一瞬だけ、ちらりとコートの下に置いた自分の鞄へと動いた。

「マーガレッタは? なんか連絡あった?」
「あんな姫知らんでござる」
「あんたねぇ……」

 ファーストコンタクトがよっぽどに悪かったのか、エレメスとマーガレッタの仲はこじれにこじれたままである。
 双方の珍妙な意地の張り合いの末、マーガレッタは従者の如くエレメスを呼び捨てて、エレメスは慇懃無礼にマーガレッタを姫君扱いする。そんな関係が成立し、定着してしていた。

「お前さんら、もう仲悪いんだか良いんだかわかんねェな」

 ハワードがそう呆れ果てれば、、

「あらあら。エレメスが仲良しだなんて照れますわね」
「うむうむ。拙者としても面映ゆい限りにござるよ」

 と即座に笑顔で火花を散らすような有様である。
 どちらも小さな子供めいて、一歩でも相手に譲ったら負けだと信じているに違いなかった。まあ要するに、喧嘩するほどなんとやら、というわけだ。

 そこでセシルはぐいとこたつ布団に潜り込んだ。顎をテーブルに乗せ、こっそりとため息をつく。
 エレメスが周囲に疎まれるのは嫌だ。けれど好かれすぎるのも、彼女としては問題なのだ。つい「あたしの方が先だったのに」なんて考えてしまう自分が厭わしい。
 そうしてもう一度、自分の鞄を盗み見る。
 二月のイベントといえばバレンタインデー。
 これまでのセシルは、それを自分とは関わりのないもの決め込んでいた。友人たちの盛り上りを他所に、ただなんて事なく静観していられた。
 けれど、今年は少しばかり勝手が違った。浮ついた雰囲気を無視できなくて、気がついたら一生懸命に準備を整えてしまっていた。
 手作りなどとは口が裂けても言えないような品だけれど。湯煎をして型を取っただけのものであるけれど。そこにはラッピングを施したチョコレートが収まっていた。

 こたつの中で、セシルは忙しなく指を組み替える。
 これを渡そうと決心をして、彼女はいつもより早くに家を出た。であればエレメスと二人きりのこの状況は、またとない好機であるはずだった。
 なのに、動けない。
 どうしてもネガティブな思考が拭えない。最悪ばかりを思い浮かべてしまう。
 取り返しがつかぬほどに玉砕をして、ここから自分の居場所がなくなってしまうのが怖かった。
 とても優しいこの関係を、この距離を、この空気を駄目にしてしまうかもしれない。
 その可能性がひどく恐ろしかった。

「セシル殿?」
「な、何よっ!?」

 思い悩んでいたところを呼ばわられ、声が裏返った。
 慌てて上半身で振り向くと、彼はやはり手元に目を注いだままである。

「何か、落ち込んでいるでござるか?」
「……なんでそう思うのよ?」
「セシル殿は太陽の如く陽性にござるからな。笑顔のくすみは目立つでござる」
「……。あんた最近朗らかになったのはいいけど、もしかして誰にでもそういう事言って歩いてるんじゃないでしょうね?」
「まさか。拙者の親切は有限にござるからな。振舞う相手は選ぶでござるよ」

 畳み掛けるような、口先のダブルアタックだった。
 こういうヤツだとわかっていてなお赤面してしまう。彼に背を向ける格好で良かったと思った。これで下心がないのだから質が悪い。
 できるだけ頬の赤みを晒さぬように、セシルは背を丸くして、再びこたつに潜り込む。

「うん。まあ、えと、そのね、心配してくれてありがと。でも人間関係でちょっと、ってだけだから、気にしないで。だいじょぶだから」

 声に張りがないのは察しただろう。けれど彼は「ふむ」と頷いただけで、それ以上を問わなかった。

「拙者その手の事柄は苦手なれども、力になれるようであればいつでも御用命を受けるにござるよ」

 エレメスに見えぬよう、セシルは唇を尖らせた。ここで「悩みの種はあんただから!」と言えてしまったら、どんなに楽だろうか。
 ともまれ、この話題を続けるのはよろしくない。精神的によろしくない。

「あたしの事よりあんたの事なんだけどさ」
「なんでござるか?」
「なんか最近、性格変わってない?」
「そうでござろうか」
「絶対変わってるわよ!」

 勢い込んだセシルは、布団から引き抜いた手でこたつの天板をばんと叩いた。

「ほら、クリスマスや年末年始もさ。誘ったら迷惑がるかなって思ってたのよ。多分──ううん、きっと断られるだろうって思ってた。でも、なんだかんだで付き合ってくれたでしょ? 
 それに、今のもそう。あたしが悩んでるっぽかったとしても、前なら『面倒だ』とか思ってスルーしてたでしょ。なのに、その、あたしの事気にしてくれてるみたいにするし?」

 このところのエレメス=ガイルは奇妙に楽しげで余裕があるのだ。
 以前は笑みこそ浮かべるものの、どこか装った印象があった。
 張り詰めた糸。薄く研ぎ上げ過ぎた刃物。そんな危うい感触があった。
 けれど、今は違う。
 取り繕いでは決してない、やわらかな素の表情を見せるようになった。そんな気がしている。

「──ちょっとした、意識改革だ」

 そう思った途端だった。
 不意に、いつもとは異なる調子で囁かれた。

「共に在るを拒むのは、恐れているからだと指摘された。万全で万能の自分だけを披露したいのは、細瑕を晒す事に怯えて逃げるのは、失望され落胆され嫌われるのが怖いからだろう、と。もしそう感じるのならば、お前はその仲間をひどく好いているのだ、と」

 低く静かなその声に。
 不思議なくらい、胸が高鳴る。

「あまり吹聴するような心境でもなく、あいつらに知られれば気恥ずかしいばかりだ。秘密にしてくれよ、セシル=ディモン」
「……なら、黙っといてあげるわよ」
 
 鳴り止まない動悸を感じながら、音着せがましくセシルは返す。
 そうして、眦を決した。

 ──怖いのは好きだから。

 その通りだと思った。
 ならばすぱっと動いて、ずばっと決着をつけてしまうべきだとも思った。
 これはやらなければ絶対に後悔する類の事だ。そして後悔先に立たずとは、何もしなければ後悔する事すらできないという意味合いに決まっているのだ。
 だから、ちゃんと渡そう。
 何よりうだうだ逡巡するなんて、絶対にあたしのカラーじゃないもの。
 
 だがいざ動こんとしたその時、こつこつこつと玄関が三度鳴った。
 几帳面なノックは、セイレンの仕業に違いなかった。カバンに伸ばしかけた手を、セシルはぎょっとこたつの中へ引き戻す。
 次いで部屋のドアを開き、予想通り姿を見せたのはセイレンとカトリーヌだった。後ろから聞こえる声からするに、ハワードとマーガレッタも一緒の様子であるらしい。

「おやおや、一斉の到着にござるな」
「珍しい。皆揃ってできたんだ?」
「ああ。ちょうどそこで行き合ってな」

 ぎこちないセシルの笑みに、セイレンが頷いて応じる。
 何の屈託もない幼馴染みの顔が、今はただ恨めしい。



 *



「……ごちそうさまでした」

 いつも通り一番最後にそう呟いて、カトリーヌは食卓に向けて両手を合わせた。
 既に他の者は既に腹八分目を迎えて、思い思いにくつろいでいる。セシルなどはすっぽりとこたつに埋まって、「あー」とが熱い湯に肩まで浸かった時のような声を漏らしている有り様だ。
 状況から知れるように、見目小柄ながら、カトリーヌはかなりの健啖家だった。
 決して早食いではないのだが、まるで熟練の長距離走者のように、最初から最後まで箸を動かすペースが変わらない。小さな体のどこにあれだけが収まるのかと、初見は誰もが目を疑うほどのものである。
 また、ただ量を摂取できればいいというではなかった。
 カトリーヌは食するものを、実に幸福げに、じっくりと楽しむ。
 無論、他の面々とて好みは語る。セシルなどは出来不出来をはっきりと口にするタイプであるし、マーガレッタは嗜好に合致した皿について饒舌だ。ハワードはそもそも自分が食べたいものを購っている。
 だが言葉による主張を上回って、語らぬカトリーヌの表情は饒舌だった。
 ゆっくりと味わいながら目を細めたり、思わぬ食感に出会ったのかふと微笑んだり、酔いしれるように飲み込んでから頬を抑えたり。その振る舞いは小動物めいて見ていて飽きない。
 迎えの途中でコンビニに立ち寄ったセイレンが、「……食べてもいい?」と袖を引かれて中華まんを買い与えてしまったり、食事前にセシルやマーガレッタが菓子を与えて、「間食はいかんでござる」と窘められたりしているが、それも致し方なしの仕草なのである。

 そのようにして本日の食卓を堪能しきったカトリーヌは、次いでふわりと立ち上がり、片付けに取り掛かった。
「してもらうだけは、いけない事」と言い張って、カトリーヌは食後処理の一切を受け持っている。
 基本的にお節介なセシルやエレメス、そして特定の相手にだけ肩入れするマーガレッタすらも手伝わないのは、彼女が珍しいくらい強い眼差しで助力を拒むからだ。
 実のところメンバーの中で一等割り切りが遅かったのはセイレンで、しばらくは洗い物をするカトリーヌの後ろをうろついて、「セイレン、座ってて」と諭されていたものだった。
「日曜日のお父さんか」とは、その様を評したハワードの言いだ。任せ上手の彼は、無論最初からごろ寝を決め込んでいる。

「カトリーヌが洗い終えたら、甘いものにしますわね」

 布巾がかけれたテーブルに、言いながらマーガレッタが乗せたのは持ち込みのマドレーヌだった。
 焼きたてだからは大分経ってしまったけれど、程よい焼き色と漂う香りは、ほっこりと優しい味覚を予感させてやまない。

「あまいもの……!」

 反応して振り向いたカトリーヌは、きらきらと期待に満ちた目をしていた。「さんぽ」と言われた子犬さながらである。

「……よく入るでござるなあ」
「甘いものは別腹というからな。おそらくはそれだろう」

 思わず零すエレメスに、わかったようなわからないような相槌を打つセイレン。

「あれだけ食べて、体重気にしなくてもいいってのは羨ましいわよね」
「いやいや、セシル殿も実にすっきりしたプロポーションではござらんか」

 受けてぽつりとセシルが漏らすと、エレメスがフォローのつもりらしく返した。
 これが皮肉を含んだハワードの言であれば「あんた今どこ見てから言った!?」と凄むところだが、空気が読めるようで読めない男の発言であれば致し方ない。
「はいはい、ありがとね」と手を振って受け流し、ついでのようにこたつの中で笑いを咬み殺すハワードの脛を蹴る。
 その暗闘を知ってか知らずか、代わりに噛み付いたのがマーガレッタだ。

「ちょっと、エレメス。またセシルちゃんに気安いのではないかしら?」
「気安く拙者に注文をつけんで欲しいでござるな、姫君」
「はあ?」
「ああ?」

 たちまちエレメスとの間にばちばちと視線の火花が飛んだ。
 が、最早恒例のじゃれあいである。カトリーヌですら食べはしない。

「こたつがあるなら、みかんも欲しいところだな」
「定番よね、こたつにみかん」
「そんじゃ、今度箱で買ってくるかね」
「みかん……!」

 あっさりとスルーして会話を続けられ、間が持たなくなった両名は気まずく視線を逸らした。



「ところで、エレメス」

 その後も他愛ない雑談は続き、カトリーヌが席に戻ったところで、やり直しのようにマーガレッタが呼びかける。

「なんでござるか、姫。うちでは食後のお茶といえば緑茶にござるよ」
「存じてますわ。安い葉で結構ですから手早くお願いしますわね」

 さらりと打ち返され、ぐぬぬ、と歯噛みしながら立ち上がるエレメス=ガイル。彼も相当な律義者である。
 それを尻目にマーガレッタは、自分の手提げから更にいくつかの小さな包みを取り出した。

「マドレーヌとは別に、クッキーも作ってみましたの」
「くっきーまで……!」
「これはおうちに帰ってから食べるんですのよ?」
「はい」

 窘められ、素直にうなずくカトリーヌ。
 それを見届けて微笑んでから、「ちゃんと全員分ありますからね」とマーガレッタはラッピングされたクッキーを手渡していく。

「ちなみにバレンタイン間近ですから、チョコチップ入りですわ。というわけでセイレンとハワードにも、はい。いつもお世話になっています。これからもよろしくお願いしますわね」
「ああ、こちらこそ」
「逆になんかすまねェな」
「セシルちゃんにも、はい。私の愛が篭っていましてよ」
「はいはい。わかったから擦り寄らないの」

 おそらくは意識して遊んでいるのだろうけれど、この友人はどうにも距離が近すぎる折がある。
 主に下級生におかしな誤解を招いているので、ちょっぴり慎んで欲しいとセシルとしては思わなくもない。

「茶が入ったでござるよー」
「ご苦労様。勿論エレメスにも下賜して差し上げますわ。私の気持ちが篭っていましてよ」
「わー、それは嬉しいでござるなあ。天にも昇る心地にござるよ」

 うふふふ、とどす黒い笑みを浮かべるマーガレッタ。
 あははは、と棒読みを返すエレメス。
 実に心温まるやり取りだった。

「喜んでいただけて幸いです。では、這いつくばって感謝なさいな」
「この姫君気取りが!」
「あら、ござるが抜けていましてよ?」
「このござる姫気取りがでござる!」
「もう何言いたいのかわかんねェな」

 くすりと、今度は天使のように微笑んでから、マーガレッタは湯呑を両手で包んだ。
 そうして付け加える。

「これは真面目な話ですけれど」
「なんだ、どうした?」
「エレメスのものは、他の方のよりも甘いですわよ。だって恣意的に、チョコが多めですもの」
「う、む? それはどういう事でござ……」
「エレメスのだけは特別ですわ。私の気持ちが篭っていましてよ」

 繰り返した声音は、先のものよりずっと静かで、ひどく真摯だった。
 唐突な発言に、しんと部屋が静まった。カトリーヌですらマドレーヌを手に持ったまま固まっている。

「──嬉しいですわよね?」

 卓の上に身を乗り出して、ぐいとエレメスに顔を近づけた。

「嬉しい、ですわよ、ねっ!?」

 いつもの口論めいた調子ではあるが、白皙の頬に朱が差しているのは誤魔化せない。
 常とは違う喧嘩相手に、エレメスは激しく狼狽する。
 とぼけた表情こそ保ってはいるものの、それは辛うじてだ。「なんでござるか。一体どういう事態にござるか!?」と顔には大書きされている。突きつけられたおろおろと脂汗をかくばかりだった。

「え、ちょ、え、マーガレッタ!?」
 
 無論、動揺したのはエレメスばかりではない。
 セシルも素っ頓狂は声を上げ、それを待っていたかのように、マーガレッタはセシルの背をぐいと押した。

「……なーんてなったら困りますわよね? じゃあほら。セシルちゃんには、何かすべき事があるのではないのかしら?」
「う? え、ええええええ!?」
「ほら、セシルちゃん。ファイトですわ、ほら」

 囁かれてセシルの思考はフリーズし、急転直下で沸騰する。
 え、何それ言えって事? この場で渡せって事? 嘘でしょだってこんな大勢の前で。ていうか一人分しか用意してなくて気が利かないみたいだし。そもそもなんであたしがチョコ持ってるって知ってるのよ? むしろなんでエレメスが好きって気がついてるのよ!?

「あ、あたしは別に渡すものとか甘いものとエレメスがどうこうとかかそういうのは……」

 感情ばかりが暴走し、逆に思考が狭まっていく。
 けれど「そんなものない」と嘘はつきたくなかった。
 ならいっちゃう? 「いつも迷惑かけてごめん。あと無理に誘ったりして悪かったわね。これ、お詫びだから。他意は、えっと、他意は、その……とにかく受け取りなさいよ!」みたく勢いでいっちゃえばどうにかなるんじゃないかな。
 ううん、だけどでもほら、もっとこう雰囲気とか、ムードとかあるじゃない。万全の体勢を整えてから、こう、ね?
 耳まで赤くなったセシルは、助けを求めるように周囲に視線を彷徨わせる。おそらく完全に無意識に、手旗信号めいて腕をばたつかせていた。

「そういうの、は……」

 蓼食う虫も好き好きとは言うがよ。一体なんだこの惨状……というか体たらくは。
 このままでは収拾がつかぬと見たハワードが呆れ顔で寝返りをした。
 首をもたげて爆弾を投げ込んだ本人を見やれば、動転しきった二人を見守るマーガレッタの面持ちは、いつになく神妙だ。
 如何にも「セシルちゃんをからかっていますのよ」「ふたりを焚きつけておりますの」みたいな風情だが、もしこの二人の関係が上手く転がったなら、後でこっそり泣くだろうと見当をつける。なんだちくしょう、どいつもこいつも面倒臭ェ。

 おそらくは友人の好いた相手に後から惚れて、ひどく後ろめたいのだろう。だから糸がこれ以上もつれて絡まるその前に決着をつけてすっぱりと諦めよう、身を引こうなどと魂胆しているに相違ない。
 だがハワードの見聞からすると、恋愛沙汰の渦中にある人間の判断が正しかった試しなどない。
 ついでに「醜かろうが浅ましかろうが、行くとこまで行って決着つけなけりゃどうにもならねェだろ」が彼の自身の見解である。

 ハワードはむっくり身を起こし、カトリーヌと頷き合った。状況を把握していないセイレンの襟首を掴む。

「うし、ハワード=アルトアイゼンはここらでクールに立ち去るぜ。どうやらお邪魔のようだからな」
「な、ちょ、待つでござるよハワード殿! それは敵前逃亡ではござらんか!?」
「ござらん、ござらん」

 ひらひらと手を振り、「では私も」と追随しようとしたマーガレッタを目で制する。意地悪く口の端で笑って見せた。
 おいおい嬢ちゃん。オレのは違うが、お前さんのは敵前逃亡だろ?

「エレメス。見当はついてたんだろ? なら男らしくはっきりしてみせろや」

 ずるずるとセイレンを引きずりながら玄関に向かう背を、ぱたぱたと三人分の手荷物とコートを抱えたカトリーヌが追う。
 靴をつっかけたハワードはドアを閉め際、思い出したように振り向いて、

「ああ、そういやここは壁が薄いからな。コトに及ぶんなら、隣近所にゃ気ィ遣えよ?」



 *



「ま、最近変わる気出してたみてェだしな。あとはエレメスが自分でなんとかするだろうよ」
「ん」
「来週までには一段落してるだろ。てなわけで、今日は早いが解散だ。そんじゃ、またな」
「ん、また。おやすみなさい」
「あ、ああ。おやすみ」

 わけのわからぬままに引っ張り出されたセイレンは、挨拶を返すのが辛うじてだった。
 カトリーヌとハワードは通じ合っている様子だが、彼にはさっぱり現状の把握ができない。いきなりつまみ出されてしまった、というのが正直な感想で、当惑は隠せなかった。

「つまり……その、どういう事なんだ?」

 カトリーヌに肘を引かれて歩き出しつつ、エレメスの部屋の明かりを振り返ってぽつり尋ねる。
 すると彼女は素っ気なく、

「それがわかるようになるのが、セイレンの宿題」
「む」

 怪訝に唸って眉を寄せるセイレンを眺めて、カトリーヌは思う。
 類は友を呼ぶというが、こういうところは親友同士そっくりだ。
 人間関係の機微や相互の感情に決して疎いではない。
 だが人の好意が自分に向く場合があるという認識を、どうしてか彼らはすっぱりと欠くのだ。まるで恋の色彩だけを見失う色盲のようだった。

「妹に訊いたら、だめだから」
「む」

 念の為に釘を刺したら、更に深刻に眉が寄った。やはり頼るつもりでいたらしい。

「教えられてわかっては、意味のない類か」

 頭を掻いて、セイレンは嘆息した。
 とまれこの場は二人の判断に従うべきだと判断をする。ハワードがああも強引に我々を辞去させたという事は、少なくとも今は、あの四畳半に戻るべきではないのだろう。
 そうして先に立って自転車へと歩きかけ、ふと首を傾げた。

「カトリーヌ」
「?」
「どうかしたのか?」
「……?」

 唐突に問われ、彼女は再度ぱちくりと瞬いた。

「ああ、すまない。君が少ししょげるように見えたんだ。気の所為ならそれで構わないのだが」

 自分の言葉足らずを察して、セイレンが付け加える。
 気遣いと呼ぶには真っ直ぐすぎる物言いに、カトリーヌはしばし逡巡してから首肯した。

「勇気と、準備がなかったから」

 朴念仁には意味の取れぬ呟きを返す。
 彼の明察の通り、カトリーヌは少しばかり落ち込んでいた。出遅れた。置いて行かれた。そんな後ろ向きの心になっている。
 マーガレッタは踏み出したし、セシルも用意を整えていたようだった。同じ場所で足踏みをして、それで動いたつもりで満足していたのは自分だけだと思い知らされた気分だった。

「だから、セイレン」
「うん?」

 ぐっと強い瞳をして、カトリーヌは一歩距離を詰めた。セイレンの顔を真っ直ぐに見上げる。

「来週を、楽しみにしていて」
「?」

 先のマーガレッタとセシルを見ておいて、どうしてここできょとりとした顔ができるのだろう。

「セイレンのにぶちん」

 小声で言って、カトリーヌは頬を膨らませる。
 この話題は駄目だろう。なら下手な舌にどう仕事をさせるべきかと、懸命に思案した。
 自分がこのように頭を回す間、彼はいつも急かさず静かに待ってくれていてくれる。そうした気遣いがとてもありがたく、心地よく、そして好ましく思う。

「……あのね、セイレン。本当は、ね」
「本当は?」
「わたし、もう道は大丈夫」

 少しだけ胸を張って、初めて会った時のように「暗記は、得意」と付け足した。

「……」
「……」
「……つまりそれは、今日から送らずともいい、という話だろうか?」

 ちょっぴりでも伝わったかと思えば、この始末である。
 むう、とカトリーヌは再度頬を膨らます。

「セイレンは、にぶちん」
「すまない」

 やはり色盲なのだ。何故咎められているのかが、本気でわかっていない。
 とはいえ自分の口が上手くないのも事実だ。彼ばかりは責められない。
 双方のどうしたものかが噛み合って、図らずも二人は、ただ黙って見つめ合う。

「……」
「……」

 咳払いをして、やがて口を開いたのはセイレンが先だった。

「道の事は一先ず置こう」
「ん」
「ただ迷子になるかどうかは別として、こんな時分にうら若い女性の一人歩きは感心しない。そして女性のエスコートは男性の役目だろうと俺は思う」
「ん」

 カトリーヌが続きを促すと、そこで彼は照れ隠しのように頬を掻いた。

「だからもし君が嫌でないのなら、これまで通り後ろに乗っていってもらえるだろうか。なんと言うべきなのかな。君の送り迎えをしなくなるのは、どうやら俺にとって味気なく、寂しい事のようなんだ」

 相変わらず、上段から振り下ろす剣のようにわかりやすく真っ直ぐな言葉だった。そこに含まれる主成分は恋や愛ではなく、おそらく過保護な兄めいた感情なのだろう。
 それがわかっていても、暖かな感情が自分に向くのを嬉しく感じてしまう。なんだかズルをされているような気分だった。

「……。そうしてもらえるなら、わたしも嬉しい」

 とはいえ、その申し出に否やがあるわけでは決してない。
 カトリーヌこっくり頷くと、セイレンが微笑した。気取った仕草で、恭しく手のひらを差し出す

「では、お手をどうぞ」
「……いします」

 きっと、予想外の行動に戸惑った所為だろう。
 いつもよりも、ずっと小さな声しか出なかった。深呼吸をして、カトリーヌは繰り返す。

「──よろしく、お願いします」

 そっと指先を重ねながら、「来週までにこの牙城を打ち崩す作戦を練る事」と、心の片隅に付箋した。



   
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鵜狩

Author:鵜狩
鳴かぬなら 鳴くのにしよう 不如帰

 小説家になろうにて物語を書き撲っております。

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